オオルリが捕られる |
||||||||||||
初めての密猟現場遭遇事件 1986年 向井 榮子 ( 熊本野鳥の会会誌に発表したもの。)
「今日は撮れませんよ。」というAさんに、鳥捕りのことを私がぶつぶつ言うと、 「野鳥の会なら、鳥を捕らないで下さい、と言わなくてはいけない。」 と問答を繰り返し、私は、情けない思いで山をおりはじめる。 と、突然、「言ってくる。」とAさんが歩き出す。 私は、ひとり置き去りにされ、仕方なく山を降り、キャンプ場入り口にたくさん見える鳥の姿を追い始めた。 そこへ、人の気配。 振り向くと、近くに居た鳥捕りの男が「バードウオッチングですか。」と声をかけてきた。 私は不安になり、早くAさんが戻ってこないかと思っていると、「向井さーん、向井さーん」と呼ぶ声。 飛んで行くと、「いかなきゃよかった。知っている人だったよ。」と情けない顔。 それでも、「言ったからもう直ぐ帰りますよ。」と。 私は、いらいらしていた。先に出会った二人と私に話しかけた一人は仲間。近くで話している。 私たちに関心があるのだ。 私たちは帰りきれず、再びのぼり始めたけれど、Aさんが「現場を見たことないでしょう。行きましょう。」と言う。
うちは、ちがいますけどね。自民党から金がでるんですよ。云々。」 これから先どうなるのかと、内心びくびくしながら、私は、600ミリレンズのついたカメラを据え、囮のオオルリの入ったかごや トリモチのそばの赤い木の実(つくりもの)を撮っていた。 ときどきオオルリはやってくるけれど、、なかなかトリモチにはとまらないようすだ。
「向井さんおなかはすくけど、1時までここで写真を撮りましょう。」とAさんが大きな声で言う。 鳥捕りは帰り、静かになった。 それから写真の撮れる場所を探していると、鳥捕りの後の残るところにぶつかり、 私は、そこで、数枚のオオルリの羽を拾い集めた。 結局、その日、写真は撮れなかった。オオルリは、寄ってこなかったのだ。 囮のかごに10羽ほど群れ、そして、逃れていったオオルリたちは、 二度とテープには近寄ってこないだろう。 そう、信じたい気持ちだ。 「写真は撮れなかったけれど、沢山のオオルリが助かったから。」と言うAさんの言葉に私も、心から、うなづいた。 けれど、鳥捕りは、明日もまた、やってくるのだ。ゆううつだった。 それにしても、「1羽でもオオルリが助かるから」と、逃げようとする私を現場」へ連れてゆき、 鳥捕りを返してしまったAさんの行動には、ひそかに感動していた。 注意をすれば、やめてくれるのだ。 鳥捕りは私たちにとって、恐い存在ではなく、むしろ、向こうが「野鳥の会」を恐れている。 彼は、「前科者になるから、警察に通報されたくない」と、はっきり訴えていた。 こんな鳥捕りなら、かんたんに防げるではないか。 鳥捕りのくる場所へ毎日のように、野鳥の会なり、自然保護課なり、警察官が出向き、 「捕ってはいけませんよ。」と一口言えばいいのだ。オオルリが渡ってしまうまで。 メジロは巣立ちビナ」が狙われるわけだから、巣立ちの頃、メジロ捕りのいる所へ出向けばよいと思う。 員数的に難しい問題はあるにせよ、こんなかんたんなことが、何故、今実行されていないのだろう。
この文章を発表してからも「野鳥の会」には、特に密猟監視の動きはありませんでしたので、 野鳥の会をやめ、「エコシステム」として、密猟監視活動を続けてきました。 しかし、行政も警察も密猟者側に立つことが多く、密猟監視では、密猟はなくならないと判断。 「家庭で野鳥を飼えない環境づくり」を目指して、 家庭訪問や小鳥店訪問、競鳴会訪問活動を始めました。 初めての、密猟現場遭遇事件から、20年が経とうとし、地球環境問題が最重要課題とされる今日に至っても、 野鳥密猟問題に対する行政の動きは殆どかわりません。 もし、行政に本気が見えたら、私たちは、すでにこの活動をやめています。 残念ながら、「日本に環境省はない。」と言う状況です。 20年経っても、平野だけが恐れられ、「平野さえ消えてしまえば」と言う動きが行政にも、密猟者にもあることは、寂しいことです。 2005年9月11日の選挙で圧勝した小泉総理の自民党。 官が出来ないことは民間へ。民間に出来ることは民間に、 どんどん移行して、小さな政府、少ない税金でやる気のある民間活力を活かして、 早く、真の「自然と共生する社会」が実現することを願うものです。 官でなければ出来ないことなんて、今の世の中、殆ど、ないのではないでしょうか。 警察も民営化されると、互いに競い合って、国民にとって、頼もしい警察に変身できるのではないでしょうか。
野鳥や野草保護にも力を注いでくださるよう、期待しています。 密猟者はどんな人 野鳥密猟Gメン エコシステムホーム |